よみがえる備中櫓津山城の歴史その他

     




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第1話
石垣の崩落と鶴山公園



 第1回目は、春の一大イベント、 津山さくらまつりの舞台である鶴山公園の発祥についてふれてみましょう。
 明治23年(1890)9月20日のことです。津山城本丸西北にある腰巻櫓の石垣が崩れ落ちました。 この崩落がかなり大規模だったことは、当時の写真からうかがい知ることができます。



崩落した腰巻櫓の石垣
 そのころの城跡は、本丸の大半と、二の丸と三の丸の一部は桑や麻の畑に、 そのほかの部分はほとんどが原野に近い状態になっていました。 明治2年の版籍奉還のときからこのときまで、実に21年もの間、 津山城を守り保存しようという積極的な活動は、 表面的にはまったく行なわれていませんでした。この崩落は、 ほとんど荒れ放題の状態で放置されていたために起こった当然の結果と言えます。
 ところが、この石垣の崩落が津山城跡の保存運動のきっかけとなったのです。
 当初、津山町(津山市の前身)議会は、町が崩落した石の払い下げを受け、 河岸の堤防に利用することを検討していました。そのような状況の中、 岡山県の書記官が崩落の現状を視察し、廃城後の経過と今回の町の対応状況を聞いた彼は、 津山にとって非常に惜しむべきことであると語りました。
 このことが地元有志を動かします。改めて城跡保存の必要性を感じた彼らは、保存に向けた働きかけを町長から郡長、県知事へと次々に行い、明治24年2月、 鶴山城保存会を発足させます。そして、城跡を公園として保存していこうとしたのです。
 しかし、当時の城跡は払い下げなどにより国有地、県有地、私有地が混在していて、 この整理が最重要課題となりました。
 城跡保存運動の端緒から10年が経過しようとしていた明治32年、 県有地が無償で津山町に下げ渡されます。この間、 私有地も一部を残して町が買い取るなどしていました。
 明治32年から33年にかけて、 町議会で残る一部の私有地の問題について熱心な議論が交わされ、 最終的には各大字代表の意見を集約することになりましたが、 ここに至って用地問題は急転して解決、必要な用地すべてを町が取得することができました。 そして、明治33年春、津山町の管理のもと、鶴山公園が開園したのです。 以後桜などの樹木が植えられたり、動物園が設置されるなどして今日に至っています。
 平成12年は、鶴山公園が開園してからちょうど100年目にあたりました。 平成16年には津山城は築城開始から400年目を迎えますから、津山城の歴史の中で、 鶴山公園の時代は4分の1をも占めているのです。
 



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